並河天民の孫、並河尚誠と中井竹山の娘の子として摂津の大坂(現在の大阪市)に生まれる。幼年期に両親と死別し、伯父に育てられる。1811年(文化10年)に懐徳堂で儒学を学び、同時に中井抑楼の養子及び門人となり、姓も中井と改姓する。後に抑楼の子と結婚した後、並河姓に戻す。師匠の死後、後継者として明治維新による閉校まで懐徳堂で教鞭を執った。
また、1855年(安政2年)にエフィム・プチャーチンらロシア艦隊が大阪湾に来航した際には、士官を務めたり、竹山が著した『逸史』を江戸幕府に奉納する等、政治関係の業務にも携わった。
1919年(大正8年)、正五位を追贈された[1]。