吉敷毛利家の家臣で「新家中原家」の5代目・中原周助、小藤の長男として生まれる。父周助は吉敷毛利家家臣粟屋与一左衛門の次男として生まれ、「新家中原家」の4代目韋甫仲佩が福岡に没した文政10年(1827年)に中原家の養子となって入家し、家督を継いだ。周助は中原家の家職である礼式をもって吉敷御殿に勤仕し、同時に憲章館で礼式を教授した。
吉敷毛利家で小姓をつとめ、傍ら郷校憲章館で学んだ。
上京して英語を学び、明治9年(1876年)工部省に就職する。鉄道局在職中は通訳、翻訳などの仕事を担当した。明治19年(1886年)9月23日、横浜の鉄道官舎の近く近藤病院で亡くなる。法名寛応院諦道義範居士。