中原岩三郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
明治元年11月13日[1](グレゴリオ暦1868年12月26日)、吉敷毛利家の御家人であった[1]中原衛人の三男として周防吉敷郡吉敷村(現・山口県山口市吉敷)に生まれる[2][3]。幼少期に木から落ちて顔に傷が残り、そのことで勉学に打ち込むようになったという[1]。1885年(明治18年)2月に上京し第一高等中学校に入学、工科を専攻し1889年(明治22年)7月に卒業した[1]。1892年(明治25年)7月東京帝国大学電気工学科を卒業[3]。
卒業後すぐ東京電燈に入社し[2]、1897年(明治30年)5月には社命でベルリンに留学する[3]。翌1898年7月に帰国し、同社工事課長となる[3]。1907年(明治40年)同社技師長として甲府桂川に水力発電所を完成させ、東京向けの長距離高圧送電を成功させる[2]。1914年(大正3年)には同社常務取締役となった[3]。
1915年(大正4年)、博士会の推薦によって工学博士号を授与された[3]。のち日本放送協会評議員、電気学会、照明学会、日本ラジオ協会などの会長を歴任した[2]。1930年(昭和5年)、山口‐大田(現・美祢市美東町)間の県道完成に伴い支線が建設された際に寄付をおこなった[2]。この際建設された支線のひとつである山口市道神田町上東線の一部区間は、「中原道路」ともいわれ、記念碑として「中原道路碑」が建てられている[4][2]。