中国とスリランカの関係
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海のシルクロードの交流は、中国の前漢の時代、紀元前207年頃から盛んになったという記録が残っている。 5世紀、中国山西省出身の学僧法顕が、古都アヌラーダプラの有名なアバヤギリヤ僧院に2年間滞在した。 法顕は北インドで10年近く過ごした後、西暦410年にスリランカに来訪した。その後、唐の高僧である不空金剛がスリランカに渡り、『宝篋印陀羅尼経法』を中国語に翻訳した。マルコ・ポーロはこの島を2度訪れ、スリランカはこの規模の島としては世界で最も優れていると記した。 ラークマバーフ 6 世(1412-1467)は、シンハラ王としては最も多い6回の使節団を中国(明朝)に派遣している。中国の明朝時代の武将鄭和は、1405年から33年にかけて、明の永楽帝の代理として西方への航海中にスリランカを6回訪問した。 1950年、独立したセイロン(=当時のスリランカの呼称)は、主権国家として13番目の国として当時建国間もない中華人民共和国を承認した。 その後1952年、当時国連に加盟していなかったセイロンは、欧米の反発を受ける危険を冒して、中国への戦略物資の輸出禁止を破り、戦略物資に指定されていたゴムを米と交換する「米・ゴム協定」を中国と締結した。 当時、中国は朝鮮戦争に参戦していた。中国から寄贈されたバンダラナイケ記念国際会議場は、現在でもコロンボの主要なコンベンション会場として機能している。同会議場内にある中国文化センターは、2014年の習近平国家主席(党総書記)の訪問時に落成式が行われた。[1]