中塁令 From Wikipedia, the free encyclopedia 中塁令(ちゅうるいれい)は、古代中国の紀元前3世紀から紀元1世紀まで、前漢時代にあった官職である。旧字で中壘令。首都の警備にかかわる。 前漢初期の制度は秦のものを受け継いでいるので、中塁令も秦代にあった可能性が高い 前漢の中塁令には次官として中塁丞がつき、また2人の中塁尉もいた[1]。中塁は、首都長安城内の兵士駐屯地であろう。 中尉の配下にあり、太初元年(紀元前104年)に武帝が中尉を執金吾と改称しても引き続きその下にあった。武帝の時代(紀元前141年 - 紀元前87年)に別に中塁校尉が置かれたが、それと中塁令の職務分担がどうなっていたかはわからない[2]。 後漢では省かれた[3]。 脚注 ↑ 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』103頁。 ↑ 『『漢書』百官公卿表訳注』105頁注5。 ↑ 『続漢書』(『後漢書』に合わさる)百官志4、早稲田文庫『後漢書』志2の512頁。 参考文献 班固著、『漢書』 大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。 司馬彪『続漢書』(范曄『後漢書』に合わさる) 渡邉義浩訳、劉昭注『後漢書』志一、二(早稲田文庫)、早稲田大学出版部、2023年、2024年。 外部リンク 中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。 Related Articles