元吏曹参判 成希顔は知中樞府事 朴元宗、吏曹判書 柳順汀、軍資監副正 辛允武などと共に燕山君が長湍石壁を遊覧する日を期して挙兵する計画を立てた。ところが、王の遊覧が取り消されて挙兵に支障が生じた。この時、湖南地域での燕山君廃位の計画を聞いていた兵が漢城に突撃したため、計画を強行した。
1506年9月1日、朴元宗、成希顔、柳順汀をはじめとする水原府使長政、軍機寺僉正朴榮文、司僕寺僉正洪景舟などその後、燕山君の側近を除去した後、景福宮に入って貞顕王后の命を受け、燕山君を廃位し、江華道に配流した。
この反正を『中宗反正』という。また、この反正の主導者の成希顔によって晋城大君は即位し、中宗となる。