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柳順汀

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前任者キム・スドン
後任者ソン・ヒアン
柳順汀
류순정
領議政
任期
1512年11月14日 – 1513年1月26日
前任者キム・スドン
後任者ソン・ヒアン
左議政
任期
1509年11月9日 – 1512年11月4日
前任者パク・ウォンジョン
後任者ソン・ヒアン
右議政
任期
1506年10月26日 – 1509年11月9日
前任者パク・ウォンジョン
後任者ソン・ヒアン
個人情報
生誕1459年
死没1513年1月26日(1513-01-26)(53–54歳没)
柳順汀
各種表記
ハングル: 유순정
漢字: 柳順汀
RR式: Yu Sun-jeong
MR式: Ryu Sun-jŏng
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柳 順汀(ユ・スンジョン、朝鮮語: 류순정、1459年 - 1512年)は、朝鮮前期の文臣・朱子学者・性理学者。字は智翁。本貫は晋州柳氏。

士林派の政治家の一人として1506年の中宗反正に参加した。士林派出身で初めて功臣に称された政治家だった[1]。

王が燕山君の時、弘文館などの要職を経て、吏曹判書などの職過ごしたが、1506年の中宗反正に加担して一等功臣となった。官職は議政府の領議政。嶺南学派の宗祖の佔畢斎金宗直の門下生。

牧使(朝鮮語版)の柳壌の息子として生まれた。その後金宗直の門下で学んだ。金宗直は性理学の以外に、護身術としての弓射と武芸を弟子たちに教えたが、その中でも武芸では柳順汀が秀でていた。

1487年に科挙を経て、弘文館に登用された。 続いて訓錬院に昇進し、秘密に全羅道に浸透した倭寇を捜索、捕獲することに成功した。

王が燕山君の時、いろいろな官職をあげて吏曹判書に昇格した。

参考文献

外部リンク

脚注

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