中山恒明
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人物
自身の乳がんを助手とともに手術し、翌日には出勤している[1]。
『サザエさん』の作者として知られる漫画家・長谷川町子の胃癌の手術(家族の要望により本人には告知せず)の際には、家族に力強く快癒を約束し、名医は患者を安心させる対人能力にも長けていると長谷川の妹の洋子(心理学専門家)を感心させている。また手術7日後の長谷川町子に病床での執筆再開を促し、家族が町子にもう連載はやめようと言うと、執筆したい町子の求めに「(家族を)呼んでらっしゃい!洗脳してあげる。」と応じ、中山に説得された家族は渋々執筆道具を病床に届けている。なお退院間際に消化器病センターが落成したため「全快した患者が最初に退院すると縁起が良い」との理由で長谷川が同センターに病室を移されて退院第一号となった[2]。
教授就任の背景
昭和22年、1947年、36歳で第二外科教授となった。千葉医大生え抜きとして初めての教授就任であった。千葉医大はその前身の千葉医専の時代から、典型的な東大医学部の植民地であった。主任教授はすべて東大医学部出身者で占められていた[3]。
中山語録
中山恒明は、昭和40年に消化器病センターを開設し、医療練士研修制度を創設し、真に実地医療の出来る医師を育てることに専念し、初期臨床研修制度の始まる40年以上も前に卒後教育の重要性を説いていた。若手教育の場での教育語録は、中山語録として伝わる[4]。
中山語録
- 「人生は経験である」
- 「始めたらやめないこと」
- 「同じ過ちを二度としないこと」
- 「-ねばならぬという事は人生にない」
- 「なさざるは悪をなすよりも悪い」
- 「努力しないで出来るうまい話はない」
- 「必要は発明の母だ」
- 「いいかげんな気持ちでは、いい仕事はできない」
- 「人生の幸福とは飢えず飽かず働くにあり」
- 「手術は安全かつ安易な方法で」
- 「検査で患者を苦しめてはならない」
- 「患者に休みがあるのなら休みたまえ」
- 「医者を選ぶのも寿命のうち」
- 「医療と経済は二人三脚」
- 「暇があったら患者をみろ。何度同じ患者を診察してもよい」
- 「治療の中で一番大切なのは、技術や薬剤ではなく、医師の心である」
- 「偉大な指者、学者、術家は自分の心に哲学を持っている。哲学のない医者は等も信頼もされない」
- 「私の教えを受けたものは、将来、同業の外科医から足を引っ張られるような、力と根性を備えた立派な外科医になってもらいたい」
- 「とにかく専門家の常識ほど学問の進歩を阻害するものはない」
- 「科学は可能なものを可能にするが、不可能を可能にするような科学はない」
- 「講演は聴衆が一人でも二人でもやる」
- 「姿勢がいいのは、健康の秘訣」
- 「人間はその年齢にならなければ、その年齢の実際はわからないもの」
- 「長生きするには腹八分目で怒らないこと」
- 「物を持ったら落とすことを考える」
- 「砂糖は甘いといっても、なめてみなければわからない」
- 「読書というものは毎日の生活習慣にならなければ本物ではない。また内容も単に専門分野のみでなく、一日最低一時間以上は専門外の物も必ず読んで視野を広げ、心を豊かにすることも肝要だ」
- 「ツマラナイ、ツマラナイと言って二年過ごすのと、ココニモ、何カ得ルモノガアルと考えて二年過ごすのでは、二年後には雲泥の差ができる」
- 「世の中で人より三歩先んずれば狂人。二歩前を行くものは達人。一歩先んずれば賢人、君たちは1.5歩位のところを目指すのがよかろう」