中島盛夫
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中学校2年生の時に福島県相馬市に転居。18歳で上京し墨田区向島でゴム製部品の製造工場に勤務していたが、1964年(昭和39年)、偶然に入った銭湯で見た『大きな富士山』の背景画に感銘を受け、すぐに背景広告社へ転職し、丸山喜久男 [注 1]に師事[2]。
以前、指に怪我を負い、広範囲の塗りを刷毛のみで行うことが困難になった時から、空塗りにローラー塗装に用いるローラーブラシを使用するようになった。ローラーを用いると大変早く描き終えられるため(1面3時間程度)、銭湯の通常定休である1日の間に完成させることができるようになった。日に2件かけもちすることもあった[5]。やがて、この手法は他の絵師にも広がった[1]。