中島義雄
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麹町小学校、麹町中学校、日比谷高校から東京大学文科一類に入学[3]。東京大学法学部卒業。東大時代は、社会主義学生同盟に属し、駒場自治会委員長選挙の決選投票では社会主義青年同盟の江田五月に敗れ副委員長に就任した。副委員長時代に全学ストを決行し、一年間の停学処分を受けた。丸山真男ゼミ所属[4]。
東大在学中に国家公務員上級試験に4番で合格。大蔵省で「花の41年組」と言われた同期の中でも有力な事務次官候補として嘱望され、入省後は予算畑を中心に順調にキャリアを重ねた。三条税務署長などを経て、1976年、主計局主査、大臣官房秘書課企画官、主計企画官、主計官などを経て、1989年、主計局総務課長就任。その後、海部内閣・宮沢内閣で内閣総理大臣秘書官を歴任、1993年には、同期の武藤と並んで主計局次長に就任した。1995年、二信組事件を引き起こしたイ・アイ・イ・インターナショナル総帥・高橋治則との親密交際がクローズアップされ、財政金融研究所長を最後に辞任。退職金は辞退した。
その後、米国ランバス大学に留学。1997年、京セラ入社。同社理事、京セラミタ専務、京セラ北京代表所首席代表等を経て、2005年、船井電機取締役兼執行役副社長に就任。2008年6月、同社顧問となる。2009年4月、セーラー万年筆常務取締役、10月副社長、12月前社長死去に伴い社長に就任(2016年3月まで)。
2017年6月 株式会社TBグループ社外取締役に就任。
2018年2月 太陽光発電電力の供給などクリーンエネルギーのリーディングカンパニーであるKエナジー代表取締役に就任。現在に至る。