中川六平
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新潟生まれ[1]。同志社大学卒業[1]。大学時代からべ平連活動に参加[1]。在学中、哲学者・鶴見俊輔と出会う[1]。
ベ平連の活動の中から、1972年2月25日、山口県岩国市にて反戦喫茶店「ほびっと」を開店[2]。なお、店名はJ・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』に由来し、開店前の企画段階で、相談をしていた反戦米兵が提案した[3]。同年6月5日「銃刀法違反」の容疑で家宅捜索をうける[4]。同年8月7日、家宅捜索に対して、広島地方裁判所に国家賠償請求の訴状を提出[5]。1973年9月17日、「ほびっと」の経営を他のメンバーに託して、京都にもどり大学に復学[6]。1974年、同志社大学卒業[7]。1975年11月、「ほびっと」が閉店する[8]。1977年8月30日、「ほびっと」家宅捜索の裁判で広島地方裁判所で敗訴[9]。同1977年9月12日、広島高等裁判所に控訴したが、1980年5月29日にふたたび敗訴[10]。
1975年、東京タイムズ入社[1]。1985年退社後、ライター、編集者となる[1]。1988年から1994年まで、現代書館の雑誌『マージナル』の編集委員を朝倉喬司・紀和鏡・森田一朗とともに務める[11]。
晶文社の編集者として『ストリートワイズ』(坪内祐三、1997年刊行)、『月と菓子パン』(石田千、2004年刊行)、『全面自供』(赤瀬川原平、2001年刊行)、『小沢昭一随筆随談選集』全6巻(2003年から2004年刊行)などを担当した[1]。