中常三島町
徳島県徳島市の町名
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地理
歴史

常三島は、武市常三 (?–1593) が蜂須賀家政から賜り開いた武家町である。
徳島城築城のとき、城山東麓[2](北麓とも)にあった神明社が、鬼門(北東)の鎮めとしてこの地(現 1丁目)に移った。伊勢神宮の摂末社だったことから、神明社の東を南北に伸びる通り(現 1・2丁目境、南では現徳島大学総合科学部と工学部の間を通る)を伊勢ノ丁と呼んだ[2]。なお、現中常三島町ではないが、熊野丁(現 助任橋通り)の名の由来となったは熊野神社は神明社に合社された[2]。
神明社の北を東西に通る通り(現徳島大学北縁沿い)は中ノ丁と呼ばれた。伊勢ノ丁の東の通り(現 2・3丁目境)は古安宅丁、その東の通りは東ノ丁と呼ばれた。
現2丁目中央部、伊勢ノ丁と古安宅丁の間を東西に結んでいた通りは、薙刀丁と呼ばれた。日比野家屋敷と長井家屋敷があり、日比野克巳 (1827–1878) と長井長義 (1845–1929) の出身地である。日比野克巳は、藩の参政・物頭格・権大参事・総学司主事を歴任して教育行政を担当し、県初の銀行有隣会社を設立した。長井長義は、エフェドリンを発見した薬学者である。
明治期からは、常三島全体が常三島村、のちに常三島町だったが、1942年分割され、南北に3分した中部(西端部を除く)が中常三島町となった。
人口
2011年6月。徳島市の調査より[1]
| 世帯数 | 人口 | |
|---|---|---|
| 1丁目 | 80 | 154 |
| 2丁目 | 92 | 182 |
| 3丁目 | 295 | 493 |
| 計 | 463 | 829 |
交通
施設
- 神明社 - 1丁目。
- 徳島大学友朋寮 - 2丁目。
- 医療法人橋本病院 - 3丁目。
- funky time常三島店 - 3丁目。
参考文献
- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)