中村幸之助
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宮城県仙台市出身[1]。第二高等学校を経て、1898年(明治31年)に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、大学院に進んだ。1899年(明治32年)、東京工業学校教授となり、翌年から欧米諸国に留学した。1902年(明治35年)に帰国後は、東京高等工業学校教授に特許局審査官、東京高等工業学校附設工業教員養成所主事、特許局技師などを兼ねた。1919年(大正8年)、工学博士の学位を得た。1926年(大正15年)、東京高等工業学校校長に就任し、翌年には財団法人協調会東京工業専修学校校長も兼ねた。1929年(昭和4年)、東京高等工業学校が東京工業大学に改組され、引き続き学長を務めた。1942年(昭和17年)に退官し、東京工業大学名誉教授の称号を受けた。
その他、電気学会会長、照明学会会長などを務めた。
1945年(昭和20年)1月11日、静養先の静岡県伊東町の別荘で死去[2]。 死去にあたり祭資の下賜を受けた。また、葬送にあたり勅使として侍従が派遣され、幣帛の下賜を受けた[3]。
脚注
- ↑ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』、帝国秘密探偵社、1943年。
- ↑ 『朝日新聞』 1945年1月16日
- ↑ 宮内庁『昭和天皇実録第九』東京書籍、2016年9月29日、536頁。ISBN 978-4-487-74409-1。
参考文献
- 「故正三位勲一等中村幸之助銀杯下賜の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113551300
東京科学大学学長(東京工業大学長:初代:1929年 - 1942年) (東京高等工業学校長:1926年 - 1929年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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