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中村朝綱

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時代 鎌倉時代前期
生誕 建保4年頃
死没 文永2年(1265年)12月11日[1]
別名 藤原朝綱、中村小太郎、中村縫殿助
 
中村朝綱
時代 鎌倉時代前期
生誕 建保4年頃
死没 文永2年(1265年)12月11日[1]
別名 藤原朝綱、中村小太郎、中村縫殿助
戒名 長河院殿朝綱猪御大居士[1]
墓所 荘厳寺[1](神奈川県藤沢市)
荘厳寺[† 1](栃木県真岡市)
官位 縫殿助
幕府 鎌倉幕府
主君 藤原頼経
氏族 中村氏 (下野国)
父母 父:中村朝定、母:常陸院 (中村常陸入道念西の娘)
兄弟 朝綱、時綱
妻 有山院(足利義継の娘)
子 頼長、伊達宗綱室
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中村 朝綱(なかむら ともつな)は、鎌倉時代の御家人。藤原朝綱。

中村小太郎、中村縫殿助。官位は縫殿助。中村氏 (下野国)第2代当主。

父の中村朝定が鎌倉の伊佐為家の御預人となった後、建保4年(1216年)頃に鎌倉にて朝定の嫡男として誕生。

嘉禄元年(1225年)、北条政子と大江広元が相次いで亡くなった翌、嘉禄2年(1227年)、藤原頼経の御家人となり、弟の次郎時綱も寛元2年に藤原頼経の御家人となった。朝綱は頼経の信任厚く近侍し鎌倉に居を構え、弓術にもすぐれ足利利氏に弓術の指南を施している[2]。

暦仁元年(1238年)、藤原頼経の上洛に際し、頼経の随兵として名を連ねている[3]。

仁治4年(1243年)、家督を嫡子の頼長に継がせると、下野国へ下向し、中村八幡宮の改修を行っている[2]。

脚注

関連項目

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