中沢浅之丞 From Wikipedia, the free encyclopedia 中沢 浅之丞(なかざわ あさのじょう、享保10年(1725年)? - 宝暦13年3月2日(1763年4月14日))は、江戸時代中期上田藩で起こった農民一揆(宝暦騒動)の指導者[1]、義民[2]。上田藩領夫神村(長野県小県郡青木村)組頭。 信濃国小県郡夫神村生まれの人物、同村の組頭[1][2]。 宝暦11年(1761年)に上田藩領で起きた年貢減免などを要求した上田藩宝暦騒動の頭取のひとり[1][2]。越訴の罪で同村の清水半平と共に中島河原で死罪となった[1][2]。法名は竿外道刹信士[2]。 同騒動についての書である『上田騒動実記』には2人の処刑の際のやりとりや辞世の句が、『上田縞崩格子』には抵抗権思想の萌芽とみられる文言がそれぞれ記載されている[2]。大正13年(1924年)宝暦義民之碑が、昭和57年(1982年)には宝暦騒動の句碑が建立された[2]。また、2人の墓は小県郡青木村の旧夫神村域で昭和16年(1941年)に発見された[3]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『中沢浅之丞』 - コトバンク 1 2 3 4 5 6 7 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『中沢浅之丞』 - コトバンク ↑ 青木村:宝暦義民の碑、2018年10月18日閲覧。 Related Articles