- 1950年頃より山岳・スキー・風景などを撮影するプロカメラマンとして活躍し、1962年のシャモニスキー世界選手権、1968年、1972年のグルノーブルオリンピック、及び札幌オリンピックの取材特派員のほか、ヨーロッパの各地・カナダ・アメリカ・アジア・ネパール・南太平洋などで写真や映像の取材を多く重ねている。
- 在京40年の写真生活の後、自身が好きな常念山脈の麓、堀金村(現安曇野市堀金)に移り住み、写真や映像制作の工房を作り、上高地・安曇野をホームグラウンドにして活躍し、多数の作品・写真文集などを作っている。
- その傍ら、後進の指導・育成のための中沢写真学校も開設した。
- 逸話としては、記録映画の代表作「わが山常念山脈」の題名で、「そのような山脈は地図上には無い…」と当時の文部省に訂正を求められたが、登山案内図にも古くから掲載されている事もあり又地元でも通用しているので訂正を拒み賞を逸した。
- また、故郷の梓川村が美術館(梓川アカデミア館)を作り「中沢義直ルーム」が設けられた時、写真作品・カメラコレクション・資料全てを寄贈した。
梓川アカデミア館
ベビーパール、オリンパス6X6・ズイコーF4.5、キヤノン4SV、キャビネ版暗箱・テッサー180ミリ、ローライコード・F3.5、レフ・コレレ・テッサーF3.5、ライカM6・M3、リンホフテヒニカ4X5、ニコンF3、ハッセルブラッドCH・CW、ディアドルフビュウ8X10、アサヒペンタックス645N、ニコンD700