中谷坂太郎

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中谷 坂太郎(なかたに さかたろう、1929年昭和4年)10月15日 - 1950年(昭和25年)10月17日[1])は日本の海上保安庁職員。朝鮮戦争に派遣された日本特別掃海隊での掃海活動中に殉職した。戦後の日本における国外での活動[注 1]における初めての、唯一の戦死者とする場合もある[2][3][4][5][6]山口県出身[7]

1950年(昭和25年)10月7日アメリカ極東軍の要請によって下関で編成された日本特別掃海隊で朝鮮戦争下の朝鮮半島周辺海域へ派遣[2][8][9]

MS14号と同型の駆潜特務艇

10月11日元山上陸作戦のための掃海活動として元山沖での掃海活動を開始。翌12日から元山港内へ進入し掃海活動するとアメリカ海軍の掃海艇が触雷し沈没した。このため、掃海活動の一時中止されたが、上陸作戦の実施期日が迫っていたため港内の掃海が再開された10月17日、中谷坂太郎の乗務するMS14号(駆潜特務艇202号)が同日中に3個の機雷を処分しつつ掃海具を曳航しながら港内を進んでいたところ、15時21分に触雷し沈没した。乗組員は駆逐艦に救助されたが、中谷坂太郎は行方不明のまま死亡が認定された[7][8][10][9]。21歳になったばかりであった。

10月27日、中谷坂太郎の葬儀は海上保安庁葬として航路啓開本部で実施され、GHQから遺族へ弔慰金が出された[2][8]。しかし、朝鮮戦争への日本特別掃海隊の派遣が極秘に行われたことから、遺族には真相を明かしたものの、公には瀬戸内海の掃海で死亡したこととされた[7]

人物

脚注

関連項目

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