中部防衛司令部
From Wikipedia, the free encyclopedia
防衛司令部は、日本ではじめて防空のために置かれた司令部である。1935年5月25日制定(29日公布、8月1日施行)の昭和10年軍令陸第8号で制定された防衛司令部令により、東京に東部防衛司令部、大阪に中部防衛司令部、小倉に西部防衛司令部が置かれることになった。しかし年内に発足したのは東部防衛司令部だけで、残る2つは1937年(昭和12年)8月1日の開始を予定した。編成管理の担当は大阪にある第4師団司令部で、所在地は第4師団司令部の一部にすると予定された[1]。
1937年(昭和12年)7月から予算1400円をあてて師団司令部庁舎の一部を模様替えし[2]、8月4日に中部防衛司令部が事務を開始した[3]。この発足時点では防空計画を立てる権限しかなかったが、11月27日制定(29日公布、12月1日施行)の昭和12年軍令陸第8号による防衛司令部令改定で、防空に関する指揮権が与えられた[4]。防空の指揮権は、中部地方西部から中国地方東部・四国地方にまたがる中部防空管区に及んだ。別に警備管区も設けられ、こちらは大阪府周辺の第4師管に限り、第4師団にかわって中部防衛司令部が警備権限を持った。
司令官・参謀長は最初期を除き専任であったが、司令部の人員の一部は師団司令部との兼任者であった[5]。
防空に関する民間指導
中部防衛司令部は大阪外事部を下部組織として持ち、民間団体の指導と取締にあたらせた。新聞・通信・雑誌の指導および取締、ラジオ放送・映画・催し物唐の指導、ニュース報道、一般講演などである[6]。