中野龍雄
日本のプロレスラー
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来歴
学生時代は柔道に打ち込む傍ら、藤波辰爾にあこがれプロレスラーを志す[3]。中学3年生時に地元市議会議員を通じ国際プロレスを紹介され、ラッシャー木村に入門を直訴したが[4]、体が小さかったためかなわなかった。
その後上京し、仕事の傍らトレーニングを積み、当時木村が所属していた旧UWFの入門テストに合格する。テストの場には木村も姿を見せ、中野の姿を見るとうれしそうに微笑んだという[5]。
1984年8月29日、高崎市中央体育館における廣松智戦でデビュー。
1986年、新日本プロレスとUWFの業務提携時は、新日本の若手だった船木優治・野上彰組に、安生洋二とのタッグで臨んだ。同試合はUWF・新日本の両スタイルが融合する好試合となり前座の名物カードとなる。
1987年、新日本プロレスのヤングライオン杯に出場。
1988年4月、新生UWFの旗揚げに参加。 新生UWFでは無骨なキャラクターと正面から立ち向かうスタイルで会場人気を集めた。特に、博多スターレーン大会における内藤恒仁戦で見せた「しゃちほこ固め」は当時のファンに強烈な印象を残し、客席から「俺は中野が好きだぁー」「俺もだぁー」の声があがるほどの支持を得て「博多男」と呼ばれた。
新生UWF解散後は高田延彦率いるUWFインターナショナルに参加。ベイダー初参戦の相手を務めるも秒殺KOされる。同カードは、中野のキャラクターにほれ込んだ、ある週刊プロレス記者の熱烈なプッシュにより実現したとされる。
1995年10月9日、UWFインターナショナルと新日本プロレスの対抗戦における、東京ドームのセミファイナルにて橋本真也と激突。40kgの体重差で劣勢となり、7分少々で、垂直落下DDTからの三角絞めでギブアップ負けを喫した。橋本からは「役不足。蹴りだけじゃ勝てないよ」と酷評されてしまう。ただし、9月に行われた前哨戦では、安生洋二とのコンビで長州力・永田裕志組と対戦し、永田から十字固めでギブアップを奪っている。
その後もUのリングで、佐々木健介、長州力と対戦し敗北。同時期、Uの同門対決でも後輩の山本健一(現・山本喧一)や高山善廣に相次いで敗れている。
1996年の離脱後は全日本プロレス、WARのほか各インディー団体で活躍。
1998年、シュートボクシングのリングでエマニュエル・ヤーブローとバーリトゥード戦を行うが、1分足らずで敗退。総合格闘技の試合を数戦行うも戦績は芳しくない。
人物
得意技
戦績
| 総合格闘技 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
| 0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2 敗 | 0 | 2 | 0 | 0 | ||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
| × | ドス・カラスJr | 1R 4:05 チョークスリーパー | DEEP2001 6th IMPACT in ARIAKE COLOSSEUM | 2002年9月7日 |
| × | エマニュエル・ヤーブロー | 1R 1:17 上四方固め | SHOOT THE SHOOTO XX | 1998年4月26日 |
入場テーマ曲
出演
著書
- 『私説UWF 中野巽耀自伝』(2020年2月26日、辰巳出版)ISBN 978-4777824267