安生洋二
東京都出身の元男性プロレスラー
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来歴
少年期 - UWF時代
幼稚園の年少から小学校4年生のころまでニュージーランドで過ごす[1]。中学生のころ、初代タイガーマスクに魅了され、第1次UWFにおける高田延彦の試合を見たことでプロレスへの本格的な興味を抱いた[1]。埼玉県立和光高等学校卒業後、UWFに入門。
1985年7月8日、広島県立体育館における星名治戦にてデビュー。同年末に第1次UWFが興行活動を停止後、UWF軍として新日本プロレスに参戦。
UWFインターナショナル時代
1991年の第2次UWF解散後、UWFインターナショナルに参加。安生によれば「WOWOW(リングス)もメガネスーパー(藤原組)も嫌だった、意地があった、それまで高田さんについていくだけだったが、お膳立てじゃなく自分たちで時代を作る」と決意していたという[1]。選手の傍ら、取締役として団体経営にも携わるようになる。特に、堪能な英会話力を生かして、外国人レスラーとの折衝にあたった。また、道場での強さを評して「ラッパ先生」と呼ばれていた[2]。
グレイシー道場破り事件
UWFインターナショナル所属だった1994年12月7日、ロサンゼルスのヒクソン・グレイシー柔術アカデミーへ道場破りに赴き、ヒクソン・グレイシーに挑戦。非公式試合ながらヒクソンの弟子たちが数多く見守るなか、なすすべなく倒されパウンドを浴び、チョークスリーパーで失神させられた[3]。その1か月ほど前「ヒクソンには200%勝てる」と公言し[4]、前夜の忘年会で朝方まで浴びるほど酒を飲むなど余裕を見せていた挙句の敗北であった。この行動は、ヒクソンと対戦交渉を進めていたUWFインター側が、結論を先延ばしにするヒクソンへの挑発目的に行った外交交渉の意味合いがあった。その使者(刺客)として送り込んだのが、当時道場でも一番の実力者とされた安生だったという。いずれにせよ、この事件によりUWFインターは業界で大きな注目を集め、3年後にPRIDE(ヒクソンvs高田延彦戦)が企画されるきっかけにもなった[5]。詳細はヒクソン・グレイシーのリンク先を参照。
もっとも、本件における失敗は安生にとって格闘家人生のトラウマとなった。のちに「面と向かって高田さんの前に立てなくなった。自殺も考えた」と語っている[5]。
ゴールデン・カップス
1995年より、新日本プロレスとの対抗戦に出場。高田延彦に次ぐUWFインターNo.2として長州力、蝶野正洋、佐々木健介といった大物と対戦。長州、佐々木には完敗を喫している。特に「10・9」の長州戦では、同カード決定後に「210%勝てる」と豪語したが、バックドロップ→リキラリアット→サソリ固めの連携でわずか4分05秒で敗れ、辻義就アナから「問題になりません!」と実況されてしまう。ちなみに同試後に行われた囲み取材にて、長州の名言である「キレてないですよ」(正確には「キレちゃいないよ」)が誕生した。一方の安生は、「今日はあんまり無理はしなかった」「次回できるもんなら無理してみますよ」「これで僕も心を入れ替えて、謙虚な男に生まれ変わりますよ!」「謙虚イズベスト!」などとふざけたコメントを残し、記者たちを爆笑させている。
伝説の「10・9」から数日後となるUインター主催の蝶野戦では、ゴング前に蝶野をハイキックで失神させ、変形足4の字固め(通称:グランドクロス200)で大金星をあげた。試合後の控室にて「(頭を指差しながら)ここの差だね。“天才は天才を知る”と言いますが…」と発言。ちなみに同試合後のインタビューにて、武藤敬司が当時保持していたIWGPヘビー級王者への挑戦を匂わすコメントを残したが、実現には至らなかった。およそ2ヵ月後の再戦(新日本主催)では蝶野にバタフライロックで敗れている。同時期には「UWFは垣原とかに任せて、プロレス界は僕が背負って立ちます」と宣言するなど、そのビッグマウスぶりが話題となる。その後はMr.200%を名乗り高山善廣、山本健一(現・山本喧一)と「ゴールデン・カップス」を結成。
1996年1月4日、新日本の東京ドーム大会で実現した冬木弘道戦では、冬木のわきがが臭いとの公言どおり、デオドラントスプレーを持参しリングインし、ボディーチェックの際にスプレーを投げ「腋にスプレーしろ」と強要(冬木はセコンドの邪道・外道にスプレーさせた)。試合開始直後、そのスプレーで目潰しを食らい外道に鼻と口をガムテープでぐるぐる巻きにされ、ラリアットを浴び敗戦。同年夏まで続いた冬木軍対ゴールデン・カップスの抗争は、ガムテープ以外にも、パンティー、生卵、生きたタコなどを凶器として使用する前代未聞の内容だった。冬木とはのちにタッグを結成。
1996年7月20日、声優の富沢美智恵とゴールデン・カップスの共同名義で、CDアルバム『OHTACO』をリリース。記者会見では「今年の紅白歌合戦に出る」と宣言したがかなわなかった。
1996年6月30日、力道山メモリアル(横浜アリーナ)にて藤原喜明と対戦(両者リングアウト)。同年8月17日、神宮球場で行われた高田延彦との「Uインター頂上対決」は、キックの連打を浴びTKO負け。
1996年末にUWFインターナショナルが解散。翌1997年にキングダムを設立したが、1998年3月に活動停止。その後は全日本プロレスなどに参戦する傍ら、総合格闘技やK-1にも出場。K-1では佐竹雅昭と対戦するもTKO負け。全日本プロレスでは2001年に天龍源一郎とのタッグで第44代世界タッグ王座を獲得。そのほか、チャンピオン・カーニバルや世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場した。
ハッスル時代以降
2004年よりプロレスイベント「ハッスル」にて、高田モンスター軍のアン・ジョー司令長官として参戦。この年は道場破りから10年となる節目でもあり、同年12月31日の『PRIDE 男祭り 2004』ではグレイシー一族のハイアン・グレイシーと対戦。敗れはしたものの一区切りをつけた。
ハッスル消滅後はプロレスの表舞台から一時姿を消し、格闘技イベント「戦極」や「GLORY」の裏方として活動[1]。一方で元UWFインター代表の鈴木健が経営する東京都世田谷区の串焼き屋「市屋苑」に就職した[6]。
ハッスルでの立場
ハッスルでは主に高田モンスター軍に属しており、高田総統の側近として活躍する。アン・ジョー司令長官と安生洋二の関係は、高田総統と高田延彦、島田工作員と島田裕二のそれに近い。
アン・ジョー司令長官
ハッスルでは鬼教官の異名を持つ。ニックネームは、Mr.300%。高田総統の「ビターン」により、様々な姿に変身する。主な言語は英語である。日本語も話すが、一部の単語は英単語を用いる場合が多く、基本的に日本語文は読めない。
ファイトスタイルは安生洋二とほぼ同じだが、対戦相手に応じて攻撃パターンが異なる。新人や若手レスラーに対しては拷問刑に近い技を繰り出し、けがが完治していない相手には当該部位を徹底的に攻略するなど、頭脳プレーも時折見せる。
2004年の「ハッスル・ハウス クリスマスSP」ではモンスター軍全敗の責任を負い、降格こそ免れたが(インリン様がNo.2に昇格したため、実質的には降格)、インリン様に腕を折られるという制裁を受けた。
アン・ジョー之助
高田総統の「ビターン」が注入されたアン・ジョー司令長官の姿。アン・ジョー司令長官自身は別人と主張している。タイガー・ジェット・シンとのタッグが多い。主に竹刀を持って登場し、相手に対して攻撃する姿は上田馬之助に酷似している。
前田日明との確執
1994年、リングスとUWFインターナショナルの対抗戦における交渉が不調に終わったことに不満を募らせ「前田なんて前の(新生)UWFで終わった人間。堕ち行く己の価値をごまかすためにUWFインターを利用しようとした。高田さんを出すまでもない。僕でも200%勝てますよ」と挑発。一方の前田側もプロレス誌で「安生と道で会ったらタダでは済まさん。家族の前で制裁を加える」と反撃。この発言が、安生の自宅襲撃を示唆したとして、UWFインターは名誉毀損と脅迫で前田を告訴した。その後、前田が記者会見で謝罪したことにより告訴が取り下げられ、いったんは収束[9]。
1996年6月10日、ホテルオークラでのFIGHTING TV サムライ開局のパーティーにて、前田が安生に対し「なめんなよ」と小突く[10][11]。アントニオ猪木が仲裁に入ったとされている。
1999年11月14日、UFC-J会場にて「前にやられた時のお返し」として背後から安生に殴打され前田は失神[12]。傷害罪により安生は略式起訴され、2000年1月5日に罰金20万円の略式命令を受けた[13]。結果的に前田は失神したが、本来は殴った後に「文句があったらリング上でやろう」という話にするつもりだったという[11]。ちなみに、安生が当日対戦予定だった相手は世界最強のMMAファイターと当時うたわれたフランク・シャムロックだった。それを耳にした前田は「安生など30秒もたない」と蔑んでいる。
人物
入場テーマ曲
- 「OVERHEAD KICK」(通常)
- 「JAMES BROWN IS DEAD」(廃盤)
- 「PROMENADE; TABLEAUX D'UNE EXPOSITION(『展覧会の絵』より)」/MODEST MUSSORGSKY(アン・ジョー司令長官として)
戦績
総合格闘技
| 総合格闘技 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 6 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
| 0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 5 敗 | 1 | 3 | 1 | 0 | ||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
| × | ハイアン・グレイシー | 1R 8:33 腕ひしぎ十字固め | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- | 2004年12月31日 |
| △ | チラギシビリ・ギア | 5分3R終了 時間切れ | DEEP2001 | 2001年1月8日 |
| × | マット・リンドランド | 1R 2:57 TKO(マウントパンチ) | UFC 29: Defense of the Belts | 2000年12月16日 |
| × | ムリーロ・ブスタマンチ | 2R 0:31 肩固め | UFC 25: Ultimate Japan 3 | 2000年4月14日 |
| × | タンク・アボット | 15分1R終了 判定0-3 | UFC Japan: Ultimate Japan 【ヘビー級トーナメント 1回戦】 | 1997年12月21日 |
| × | ジアン・アルバレス | 1R 34:26 ギブアップ(マウントパンチ) | THE U-JAPAN SUPER FIGHTING '96 VOL.1 | 1996年11月17日 |
キックボクシング
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
| × | 中井一成 | 2R 1:22 KO(2ノックダウン:右ストレート) | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP '99 1回戦】 | 1999年8月22日 |
| × | 佐竹雅昭 | 2R 1:02 TKO(右ハイキック) | K-1 BUSHIDO '98 【JAPAN GP 1回戦】 | 1998年8月28日 |
異種格闘技
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
| △ | マンソン・ギブソン | 20分1R終了 時間切れ | SHOOTFIGHTING CARNIVAL GROUND ZERO YOKOHAMA 〜格闘祭〜 | 1996年1月27日 |
| △ | チャンプア・ゲッソンリット | 5R終了 引分け | U-COSMOS | 1989年11月29日 |
タイトル歴
得意技
引退興行
| 引退セレモニー | ||
| 主な花束贈呈来場者:桜庭和志、長州力 VTR:高田延彦 | ||
| 第7試合 安生洋二引退試合 時間無制限3本勝負 | ||
| ●安生洋二 高山善廣 山本喧一 |
23分03秒 ゴッチ式パイルドライバー→体固め ※3本目のみ | 船木誠勝 鈴木みのる○ 菊田早苗 |
| 第6試合 45分1本勝負 | ||
| ○ミノワマン 金原弘光 |
13分06秒 ヒールホールド | 藤原喜明 松井大二郎● |
| 第5試合 20分1本勝負 Uインター・ルール | ||
| ○上山龍紀 | 14分26秒 スピニングチョーク | 中村大介● |
| 第4試合 20分1本勝負 Uインター・ルール | ||
| ○中野巽耀 | 4分44秒 しゃちほこ固め | 岡田考● |
| 第3試合 20分1本勝負 | ||
| ○佐野巧真 長井満也 |
9分22秒 ノーザンライトボム→体固め | 金村キンタロー 黒田哲広● |
| 第2試合 20分1本勝負 | ||
| ○入江秀忠 | 6分01秒 KO | エドアルド・ホンダ● |
| 第1試合 15分1本勝負 | ||
| ○MAX宮沢 | 4分03秒 ひざ十字固め | 服部健太● |
| 開会宣言:安生洋二、レイザーラモン、島田二等兵 | ||