中野操 日本の医師 (1897-1986) From Wikipedia, the free encyclopedia 中野 操(なかの みさお、1897年10月30日[1] - 1986年3月21日[1])は、日本の医師、医史学者、陸軍軍医[1]。 経歴 京都府出身、京都府立医専卒[1]。 1938年杏林温古会を設立、大阪赤十字病院に勤務後、周防町、阿倍野晴明通で開業した。戦後に大阪で開業した[1]。 『増補医事年表』を編纂し、機関誌『医譚』を発行するなど[1]、大阪の医学史研究につとめた[1]。 著作 『皇国医事大年表』南江堂、1942年。https://dl.ndl.go.jp/pid/1139711。 『日本医事大年表 増補版』思文閣、1972年。https://dl.ndl.go.jp/pid/12644384。 『大阪医学風土記』杏林温故会、1959年。https://dl.ndl.go.jp/pid/1377895。 『大坂蘭学史話』思文閣出版、1979年。https://dl.ndl.go.jp/pid/12590469。 『大阪名医伝』思文閣出版、1983年。https://dl.ndl.go.jp/pid/12644443。 CiNii CiNii 中野操 中野操文庫 中野は、1552年(天文21年)の『黄素妙論』や室町時代に遡る医学書、日本最古のオランダ文法書で蘭方医新宮涼庭(1787年 - 1854年)が写した1733年の『セウユリルスフラーカコンスト』、江戸時代大阪の医事年表など、日本医史学の比類ない歴史資料を蔵書しており、これらは2012年に13,461点が一括で大阪市の指定有形文化財となった。 脚注・出典 [脚注の使い方] [1]“デジタル版 日本人名大辞典+Plus 中野操”. 講談社 (2009年). 2014年12月23日閲覧。 参考文献 日本医史学会関西支部(編)「中野 操略歴 (医譚発刊三十周年記念特集)」『医譚』第35号、日本医史学会関西支部、1967年6月、2376頁。 江尻進 編『医事法制史開拓の巨星落つ』江尻進〈思い出に綴られる山崎佐の生涯〉、1968年。https://dl.ndl.go.jp/pid/2984786/1/160。 日本医史学会関西支部(編)「中野操先生米寿祝賀記念誌〔含 略歴〕」『医譚』通号 54、日本医史学会関西支部、1985年4月、3323-3404頁。 関連項目 日本医史学会 外部リンク 中野操文庫 - 大阪市この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。表示編集 Related Articles