摂津国川辺郡尼崎(現在の兵庫県尼崎市)で、浄土真宗本願寺派西性寺の天崎紹印の三男として生まれ[8]、中馬譲吉の養子となった[8][3][6]。1898年(明治31年)、東京帝国大学医科大学を卒業[3][6][7][9]。日露戦争に従軍し、陸軍一等軍医に任ぜられた。姫路県立病院副院長を務めた後、中馬病院を開業した[3]。一般の診療に従事した[7]。また尼崎市医師会長、琴浦育児院長、尼崎市訓盲院長などを務めた[3]。
1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。憲政会[1]、立憲民政党[2][5][6]に所属。第15回、第17回で再選を果たした。
その他、阪神競馬倶楽部理事長、尼崎魚市場、尼崎青物市場各社長、朝鮮平安漁業取締役を務めた[2][3][6]。