丸山和歌子 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 (1905-08-22) 1905年8月22日出身地 大日本帝国・東京神田死没 1945年??月??日学歴 東洋音楽学校本科声楽部丸山 和歌子 丸山 和歌子基本情報生誕 (1905-08-22) 1905年8月22日出身地 大日本帝国・東京神田死没 1945年??月??日学歴 東洋音楽学校本科声楽部職業 歌手活動期間 1931年 - 1945年 丸山 和歌子(まるやま わかこ、1905年〈明治38年〉8月22日[1][注釈 1] - 1945年〈昭和20年〉)は、戦前に活動した日本の女性歌手。ステージからレコードで活動し、その分野では珍しく広い音域(特に高音のソプラノ)を持つ歌手だった[2]。浅草オペラ館で活躍した。 東京・神田で篠原幼稚園を営む丸山和太郎の次女として生まれる[2][3]。女子学院を経て、東洋音楽学校[注釈 2]本科声楽部を卒業[2]。永井郁子らに師事[1]。 卒業後は、姉とともに実家の幼稚園経営を引き継いだ[2]。1931年に浅草の金龍館で歌手デビューし、同年にはレコードもリリースされた[2]。ステージに立つと「ワカちゃーん」というかけ声が上がったという[2]。 1937年(昭和12年)にレコード歌手を引退した後はステージでの歌手活動を続け、戦争中は慰問活動で歌声を披露した[2]。 毛利眞人が遺族の証言として記しているところでは、1945年に空襲により死亡した[2]。作家の高見順はこの年の6月26日、和歌子の弟・勇[注釈 3]に会ってその訃報を聞き、「どこか巡業先で死んだという。酔っていて、どこか聞いたのだが、忘れた」と日記に書いている[5]。 死去から74年が経過した2019年に、23曲の歌唱を収めたコンパクトディスク『泣いちゃいけない 丸山和歌子の部屋 1931-1936』がリリースされた[2][6]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 毛利眞人によると、1902年説もあり[2]。 ↑ 東京音楽大学の前身。 ↑ オペラ館文芸部の作家で、高見とは中学の同級生[4]。 出典 1 2 『音楽年鑑』(昭和17年版)大日本雄弁会講談社、1942年6月、249頁。doi:10.11501/1211043。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 毛利眞人 (2019年12月20日). “【新譜】泣いちゃいけない 丸山和歌子の部屋 1931〜1937”. ニッポン・スヰングタイム(はてなブログ). 2024年2月7日閲覧。 ↑ 五所平之助『わが青春』永田書房、1978年6月、36-37頁。doi:10.11501/12437577。 ↑ 高見順『文芸的雑談』昭森社、1940年11月、84頁。doi:10.11501/1116777。 ↑ 高見順『高見順日記』 4巻、勁草書房、1964年12月、187頁。doi:10.11501/1666836。 ↑ 泣いちゃいけない 丸山和歌子の部屋 1931-1936 - オリコン この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。表示編集 Related Articles