東京都出身。中央大学附属高等学校3年の時に三冠を達成。中央大学進学後、ユニバーシアードモスクワ大会(1973年)に出場し、3年次に全日本入り。4年次には秋リーグとインカレの全タイトルで優勝を果たした。卒業後の1975年に日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)に入社し、NKKナイツの選手として活躍[2]。
1976年モントリオールオリンピックバレーボール4位入賞[4][5]。
1980年度からNKKナイツの主将を務め、1983年度からは花輪晴彦に主将を引き継いで選手兼任コーチとなった(1986年度まで)。