丸茂作太郎
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1967年茅野市長選挙
長野県諏訪郡玉川村[4](現・茅野市)で、丸茂米作、きち の四男として生まれた[1][4]。生家は製糸業で[4]、旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、旧制東京高等蚕糸学校(現・東京農工大学)卒業[1][2][4]。1927年(昭和2年)丸茂製糸場に入社[1][2]。1932年(昭和7年)同郡永明村(現・茅野市)に丸茂製糸工場を設立した[1][4]。
1941年(昭和16年)永明村翼賛壮年団長に就任[1][2]。1942年(昭和17年)永明村会議員となった[1][2][3][4]。以後、ちの町消防団長、茅野町消防団長、茅野町議会議員などを歴任[1][2]。茅野市発足後、消防団長、長野県消防協会副会長、茅野市商工会議所副会頭を務めた[4]。1959年(昭和34年)茅野市議会議員に選出された[1][2][3]。同年5月8日から1961年(昭和36年)4月28日まで同第2代議長を務めた[5]。
1967年(昭和42年)4月28日の茅野市長選挙に立候補して、新人2人を破って初当選を果たした[6]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:95.11%(前回比:
0.93pts)
| 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 丸茂作太郎 | 63 | 無所属 | 新 | 9,733票 | 43.4% | - |
| 原田文也 | 51 | 無所属 | 新 | 8,505票 | 37.9% | - |
| 矢崎哲男 | 56 | 無所属 | 新 | 4,198票 | 18.7% | - |
同月30日に就任した[2]。在任中は市営団地の造成や、観光開発、道路行政に力を入れ[2]、道路行政に力を注ぎ道路市長と称された[4]。
1971年茅野市長選挙
1971年(昭和46年)の市長選挙に立候補し、社会党推薦の新人を含め3人の争いとなったが、新人の原田文也に敗れた[7]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
| 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 原田文也 | - | 無所属 | 新 | 11,093票 | 45.5% | - |
| 丸茂作太郎 | - | 無所属 | 前 | 7,151票 | 29.3% | - |
| 机元三 | - | 無所属 | 新 | 6,117票 | 25.1% | 日本社会党推薦 |
4月29日に退任した[2]。
また1972年(昭和47年)全国国用器械製糸工業組合連合会理事、1975年(昭和50年)長野県国用器械製糸工業組合理事を歴任し、製糸業の発展に貢献した[4]。
人物
- 宗教は仏教で、趣味は園芸[3]