文久2年(1862年)2月1日、播磨国三草藩 第6代藩主・丹羽氏中の三男として生まれる。明治4年(1871年)12月、従五位に叙任する。明治11年(1878年)2月、氏中の隠居により家督を継いだ。明治17年(1884年)7月に子爵の位を授けられ、12月、宮中祇候に任じられる。明治18年(1885年)に宮中祇候を辞め、芝離宮の吹上御宛勤番を命じられる。明治19年(1886年)2月、宮中勤番を辞め、明治26年(1893年)2月より、久邇宮へ書道を教え始める。明治30年(1897年)7月には正四位を授けられる。明治32年(1899年)に久邇宮出仕となる。明治36年(1903年)には従三位となる。明治40年(1907年)久邇宮出仕を辞める。明治45年(1912年)7月、正三位となる。
大正9年 (1920年)4月6日に東京千駄ヶ谷で死去した。享年59。墓所は東京都台東区浅草の海雲寺。