久久比神社
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位置
北緯35度33分25.9秒 東経134度50分37.0秒 / 北緯35.557194度 東経134.843611度座標: 北緯35度33分25.9秒 東経134度50分37.0秒 / 北緯35.557194度 東経134.843611度
主祭神
久久能智神
| 久久比神社 | |
|---|---|
|
拝殿 | |
| 所在地 | 兵庫県豊岡市下宮318番地2 |
| 位置 | 北緯35度33分25.9秒 東経134度50分37.0秒 / 北緯35.557194度 東経134.843611度座標: 北緯35度33分25.9秒 東経134度50分37.0秒 / 北緯35.557194度 東経134.843611度 |
| 主祭神 | 久久能智神 |
| 社格等 |
式内社(小) 旧村社 |
| 創建 | 不詳(垂仁天皇御代) |
| 本殿の様式 | 三間社流造 |
| 例祭 | 10月15日 |
| 地図 | |
- 久久能智神(くくのちのかみ)
歴史
文化財
重要文化財(国指定)
- 本殿 -三間社流造、こけら葺き。室町時代、永正4年(1507年)の建立。
コウノトリ伝説
日本書紀によれば垂仁天皇の御宇二十三年冬十月朔(ついたち)、天皇が誉津別皇子(ほむつわけのおうじ)をともない大殿の前に立ち給う時、鵠(くくひ[注釈 1])が大空を鳴き渡った。 その時、皇子が「これは何物ぞ」とお問いになったので、天皇は大いに喜び給い左右の臣に「誰か能くこの鳥を捕らえて献らむ」と詔せられた。 天湯河板挙(あめのゆかわのたな)が「臣、必ず捕らえて献らむ」と奏し、この大鳥が飛び行く国々を追って廻り、出雲国で捕らえたといい、あるいは但馬国で捕らえたともいう。 十一月朔、天湯河板挙はめでたくこの鵠を献上したのである。時に皇子は三十歳であったが、いまだ物言い給わず、あたかも児の泣くが如き声のみで、この日初めて人並みの言葉を発せられたのである。 これほどに鵠は霊鳥なのでその棲家の地を久久比(くくひ)と呼びなし、その後この地に宮を建て、木の神「久久能智神」(くくのちのかみ)を奉斎した。 これが久久比神社(くくひじんじゃ)の始まりであった。 さりながら、その頃豊岡盆地は「黄沼前海」(きめさきのうみ)と称して、まったくの入海、下宮の地はその入江の汀であった。 又そのあたりは樹木繁茂し、木霊のこもろう処、神自ら鎮まり座す景勝の地であった。 われらの先人が、この自然の神秘と霊妙を感得して、木の神「久久能智神」を奉斎し、木の御神徳の宏大に帰依したのも宜なる哉である。
