久保山墓地

神奈川県横浜市西区元久保町にある、横浜市営の墓地 From Wikipedia, the free encyclopedia

久保山墓地(くぼやまぼち)は、神奈川県横浜市西区元久保町にある、横浜市営の墓地。隣接して入り混じっている寺院管理の墓地も総称して久保山墓地と呼ばれている。

開園 1874年
日本の旗 日本
座標 北緯35度26分35.8秒 東経139度36分27.7秒
概要 詳細, 開園 ...
久保山墓地
久保山墓地の位置(横浜市内)
久保山墓地
横浜市内の位置
詳細
開園 1874年
所在地
日本の旗 日本
座標 北緯35度26分35.8秒 東経139度36分27.7秒
種別 公営
運営者 横浜市
総面積 126,000平方メートル
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概要

久保山墓地周辺の空中写真。2019年6月16日撮影。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成

墓地は美観的にも衛生的にも市街地と隔絶した場所に設けるべきとの見地から、1874年明治7年)に久保町共葬葬地(俗称久保山墓地)が設けられ、横浜開港後急速に市街化した野毛町林光寺大聖院長者町常清寺の3寺の墓地が移設・改葬された[1]。その後も人口増加と寺院墓地の移転で拡張され、横浜市営部分の面積は126,000平方メートル14,000区画、寺院の所有や管理の墓地も含めるとその1.5倍程度に及ぶ[2]

埋葬されている著名人

施設

横浜市久保山斎場

横浜市が運営する公営火葬場1875年(明治8年)開設。北緯35度26分37.6秒 東経139度36分29.1秒

1948年(昭和23年)12月23日、東條英機A級戦犯7名が巣鴨プリズンで絞首刑に処された後、米軍により極秘裏に同場に運ばれて火葬された後に太平洋上で散骨された。7人の戦犯の遺骨の一部は東京裁判でA級戦犯の弁護人を務めた三文字正平らにより回収され、熱海市興亜観音に一時保管された後、愛知県三ヶ根山頂に造営された殉国七士廟に葬られた[5]

横浜市久保山霊堂

横浜市が運営する葬儀式場。ロッカー形式の保管庫に遺骨を一時預けることができる。1957年昭和32年)開設。北緯35度26分35.1秒 東経139度36分39秒

その他の施設

  • 官修墓地 - 戊辰戦争で負傷し、野毛山修文館の軍陣病院で死亡した兵士の墓地。
  • 横浜市大震火災横死者合葬之墓 - 関東大震災により死亡した無縁者3,300人の合葬墓。
  • 関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑
  • 茶屋 - 墓参者用の施設で十数軒あり、供花や線香のほか、清掃や工事など墓地に関する多種作業も扱う。

所在地・交通

  • 久保山墓地 - 神奈川県横浜市西区元久保町3-24(管理事務所)
  • 久保山斎場 - 神奈川県横浜市西区元久保町3-1
  • 久保山霊堂 - 神奈川県横浜市西区元久保町1-1

近隣の寺院

脚注

関連項目

外部リンク

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