1983年に、幕張駅前にある産婦人科にて次女として生を受ける。[2]
幼少期から、都バスの運転手であった父親に、都バスの営業所内や自宅の私有地で自動車の運転を教えられ、運転に興味を持つ。その後、ウェイクボードを始め、16歳で船舶の免許を取得する。[3]
18歳の時に自動車免許を取得。その後当時の彼氏がレンタルビデオ屋で借りた頭文字DのDVDの影響で走り屋に興味を持つ。[3]
19歳の時に知り合った解体屋がレースをしており、その観戦や移動中の峠道でドリフトを体験したことで、自身もスポーツ走行に興味を持つ。その際、ヤフーオークションでホンダ・インテグラを狙うも落札できず、日産・180SXを購入する。その後、本田技研工業のディーラーに就職が決まるも、日産車に乗っていたことや男尊女卑的な文化もあり不遇な扱いを受けたため辞退。GSユアサの営業所に就職する。[4]
2009年に日光クイーンに参戦し優勝する。[1]
2010年に、チームオレンジに加入。D1LLへの参戦を開始し、年間4勝。初代チャンピオンとなる。また、D1SLにも並行して参戦、第4戦を3位で終え、シリーズ17位で終えた。
2011年も引き続きD1LL、D1SLに参戦。LLでは年間3勝をあげシリーズチャンピオン、SLはシリーズ28位で終えた。
2012年はD1LLで年間4勝し、3連続チャンピオンとなった。D1SLは28位で終える。
2013年はシリーズ中盤から結婚や子育てを理由に参戦を休止したものの、D1LLで1勝し、シリーズ6位、D1SLはシリーズ11位で終えた。また、参戦休止と同時にチームオレンジから脱退した。
2014年、D1LL第6戦にスポット参戦。久々の参戦ながら優勝を果たした。
2016年はMazda Women in Motorsport Projectに参加した。[5]D1LL第6戦にも参戦予定であったが、練習走行で事故が発生したため大会自体が中止となった。
2019年、本格的にモータースポーツに復帰することを宣言、KYOJO CUPに参戦した。[6]
2020年からドリフト競技に復帰した。また、この年に東日本ラリーに参戦した。[7]また、映画『アライブフーン』のカースタントも担当した。
2022年にD1ライツシリーズに参戦。第2戦で単走優勝し、総合2位となった。最終的なシリーズランキングは10位であった。
2023年にミュゼプラチナムからD1GPに参戦[8]。第7戦では自身初の追走進出を果たし、自己最高位の9位となった。最終的なシリーズランキングは27位であった。
2024年はハイチュウからD1GPに参戦する。