久保平賀
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概要
鼓型の町形を有し、東端に隣接する根木内との境には富士川支流の平賀川が流れる。 鼓型の中央で東西を走る千葉県道280号と国道6号水戸街道が交差。
曽谷教信(法蓮日礼)の娘で千葉胤貞の妻である芝崎が本土寺へ自身の化粧料だった六平賀(本平賀・殿平賀・東平賀・久保平賀・上総平賀・片田平賀)の土地を寄進したという地区の1つで、窪地の多い土地柄からつけられたと考えられている[1]。
久保平賀の旧字名には下田(64番地~88番地、100番地~113番地)、柳田(114番地~272番地)、下宿(274番地、277番地、280番の1、280番地の3~280番地の5、282番地の1、282番地の3~282番地の4、283番地の1、284番地の1、285番地の1、286番地の3~286番地の6、287番地~296番地、304番地の1,2、304番地の4~304番地の13、304番地の17~304番地の35)、行人台(375番地~378番地、380番地~382番地、383番地、384番地の1と2、384番地の4~384番地の5、385番地の1、387番地の1、388番地~389番地、396番地~399番地)、などがある。
とくに行人台とは東日本旅客鉄道常磐線北小金駅の南東方五百メートルの位置にあり、千葉県道280号旧水戸街道と国道6号が交差する付近に面する台地で、隣接する小金原を駅から国道へ通るハワイ通りには「行人台商店街」と彫られた石標が残されており、隣接する小金きよしヶ丘にある小金公園に集落跡の「行人台遺跡」があり、この地には「行人台城」という城が築されていたという。その丘陵地帯はかつては稔り豊かな田畑であった一方で行人台の戦いなどの古戦場にもなったらしいが、いまでは都市化がすすみ、その遺構やおもかげなどはない[2]が「人の泣き叫ぶ声の聞こえる古戦場」という行人塚怨霊話が残されている[3][4]。
行人台という地名は実際に「鈴木帯刀小金行人台ニテ打死」と『本土寺過去帳』[5]にも記載があり、古くからあったようである。由来は行人からとされていることが多いが、具体的にどのような行人に由来するのかは不明なようで、推察として行人という名称から、上総地域に広く伝えられている行者・山伏伝説に由来するものと考えられている[6]。
城跡の北麓に、1691年(元禄四年)九月建立の「道禄神」及び1836年(天保七年)2月の「山神宮」の石祠が祀られている[7]。道禄神は「道行く人の安全を守り、また災害などが村内へ侵入しないように守る神様として、辻や村境などに建てられたもの。」として、広報にも紹介されている。そしてこれら道禄神は所有地に祀っており、300年祭を行ったとの記事がある[8]一方で、この道禄神については病気に効果があるとされ、その起源は伝兵衛というよそから来た美男子を道禄神として祀ったもので、彼は女性から強くいい寄られて自分を巡って女性同士がいざかいを起こすなどの件で心を痛め、その罪滅ぼしとして病気が治るための奉仕をするという内容の遺書を遺し、平賀川に身投げしたという伝承もあるという[9]。
行人台城は、近傍の根木内城の築城から行人台の戦いまでの1462年(寛正3年)から1521年(永正18年)に構築されたと考えられているが、城としての伝承はないので、根木内城の支城というよりは仮設の要害などだったとの解釈がなされている[6]。
主な事業所・施設等
- 久保平賀稲荷神社
- つぐみ公園
- ダイハツ千葉販売(株)松戸店
- ダイハツ千葉販売(株) U-CAR松戸
- ラミーユ松戸ハイライズ
- 行人台遺跡
- 坊主地蔵、壊れた三重塔
- イトーピア小金公園
- ワコーレ北小金
- シノサキ北小金ハイホーム
- クレフラスト北小金