これは『論語』為政篇で述べられていたことであった。知らないことは知らないとして、知っている知らないことを明確にわきまえるということが、真に知ることであるということである。この言葉は、孔子が門人の子路に対して、すぐに行動に移したり、すぐに理解したつもりになったりということがあったということから、このことを戒める目的で述べていたことであった[1]。この子路というのは、孔子の弟子の中では最年長であり、孔子と同年代の人物であった。若い頃は粗暴で学問とは程遠かったのであるが、孔子と出会うことで一途に孔子を尊敬するようになったという人物であった[2]。
渋沢栄一は、自身の教えでこの言葉を用いていた。そこでは知らないことは知らないこととして、知っていることのみで通すというのが智者のみでなく人の取るべき最善の処世法とのこと。こうすることで簡単に世渡りをできるようになるのであるが、実際に臨むとなれば人間というのは知らないことを知っているように見せようとするのが弱点とのこと。このようにして繕わなければならなくなり簡単に済ませられる世渡りを複雑にして、自ら手も足も出ないようにして、身動きが取れないようにしているとのこと。知らないことを知らないとするのは道徳のみでなく、処世においても極めて便利なことであるために、青少年は知らないことはあくまでも知らないで通し、自らを欺くことで他人に対して配慮が足りないような振る舞いをするべきではないとしていたとのこと[3]。