乗替寿好
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 福井県小浜市 |
| 生年月日 | 1950年11月15日(74歳) |
| 身長 体重 |
174 cm 75 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1968年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 1970年4月16日 |
| 最終出場 | 1974年8月23日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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コーチ歴 | |
この表について
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若狭高校では甲子園に3回出場。2年生の時には、1年上のエース川藤幸三を擁し、一塁手、控え投手として1967年春の選抜に出場。1回戦で報徳学園に敗退[1]。同年夏の選手権では先発を任されるが、1回戦で武相高の島野修と投げ合い、完封を喫する[2]。
翌1968年にはエースとして夏の甲子園に出場。やはり1回戦で北日本学院の有沢賢持に抑えられ、0-1で惜敗[2]。しかし同年の福井国体では、決勝で谷岡潔のいた松山商を下し初優勝を飾る。同国体では3試合で失点1、24三振を奪い、特に内角へ食い込む速球に威力があった。
同年のドラフト2位で西鉄ライオンズへ入団、貴重な左腕として期待された。
1970年は5月から先発陣に入る。27日には近鉄の太田幸司、佐々木宏一郎と投げ合い8回を4安打と好投、自己唯一の完投を記録するが終盤に崩れ敗戦投手となった。その後も結果を残せず中継ぎに回る。同年は32試合に登板するが0勝5敗、防御率5.88と成績は振るわなかった。
1975年限りで引退。オーバーハンドから大きなカーブやシュートを武器とした。
その後故郷で社会人野球クラブチーム・福井ミリオンドリームズのコーチと、中学硬式野球チーム若狭ボーイズの監督を務めている。現在は、実家の整骨院で働いている。
息子は同じ若狭高校を出て、立命館大学、セガサミーで捕手としてプレーした。
乗替という珍しい苗字は本名で、全国に20人程度しかいない。