乙益重隆
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現在、熊本県球磨郡あさぎり町となっている同県球磨郡免田町(乙益誕生当時は免田村)に生まれる[2]。
1941年(昭和16年)に國學院大學を卒業し、1947年(昭和22年)に熊本県立球磨農業学校(現在の熊本県立南稜高等学校の前身の1つ)の教諭となる。1950年(昭和25年)に熊本女子大学助教授となり、1963年(昭和38年)には同校教授となる。なおこれ以前の1958年(昭和33年)から並行して熊本大学の非常勤講師も務めている[2]。
この熊本時代には、装飾古墳など県内各地の遺跡調査に携わり、同県の文化財保護の主導的存在となった。熊本市の千金甲古墳群(せごんこうこふんぐん)などの保護に尽力した[2]。
1970年(昭和45年)に國學院大學に招聘され同校教授となり、1975年(昭和50年)からは日本考古学協会委員長を務めた[2]。
主な研究分野は弥生時代の農耕文化・農具で、これらに関する著作・論考が多い[1]。
1991年(平成3年)3月2日に死去。死の同年、朝鮮総督府勧業模範場が1925年(大正14年)編纂した書籍『朝鮮の在来農具』を、日本列島の弥生時代農具研究における重要な書籍と評価し、復刻版を刊行した[1][3]。
主な著作
- 乙益重隆 編『装飾古墳と文様』講談社〈古代史発掘8〉、1974年2月。ISBN 4061257587。 NCID BN02691972。
- 乙益, 重隆『弥生農業と埋納習俗』六興出版〈人類史叢書13〉、1992年5月1日。ISBN 4845330474。 NCID BN07803734。(遺著)