九里茂三
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山形県米沢市に生まれ育つ[1]。養母の九里とみは、1901年に九里裁縫女学校を創設し、その経営にあたっていた[4]。
1940年に山形県師範学校本科一部を卒業し、翌1941年には同専攻科を卒業して、東京高等師範学校に進んだ[1]。
1944年9月には、東京高等師範学校を卒要し、海軍予備学生として土浦海軍航空隊へ入隊、1945年6月には海軍少尉に任官、直ちに召集され8月まで[1]針尾にあった海軍兵学校分校の教官を務めた[2][4]。
敗戦後は帰郷して、11月に山形県立米沢中学校(後の山形県立米沢興譲館高等学校)の教諭となり[1]、国語の教鞭をとった[2]。また、英語の授業を担当したこともあった[5]。
米沢興譲館高等学校在職のまま、1957年4月から、学校法人九里学園理事長となり、1961年3月には、米沢興譲館高等学校を退職して、九里学園が経営する米沢女子高等学校(後の九里学園高等学校)校長となった[1]。1988年に校長を退任したが、1990年には学園長となった[1]。その後も理事長職には2009年までとどまり、死去するまで学園長であった[1]。この間、1979年には九里幼稚園、1982年には九里学園教育研究所を設立した[4]。
九里は、九里学園の経営に当たるとともに、広く私学振興運動にも尽力し、山形県私立高等学校協会会長、日本私立中学高等学校連合会副会長などの要職を歴任した[4]。