二つの色

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二つの色」(ふたつのいろ、ウクライナ語: Два кольори英語: Two Colours)は、オレクサンドル・ビラシュ英語版が作曲し、ドミトロ・パヴリチコ英語版が作詞した、1964年の楽曲、ウクライナ語の歌。作者がはっきりしている20世紀の作品であるが、しばしば「ウクライナ民謡」と説明される[1]

最初に歌唱したのは、アナトリイ・マクレンコ英語版であったが、1964年10月にドミトロ・フナチュク英語版が取り上げるまで、レコーディングもされず、楽譜出版もおこなわれなかった。

オレクサンドル・ビラシュの娘によれば、「二つの色」は、1964年2月29日に開催されたウクライナのコムソモール英語版の大会に触発されて書かれたものであるという。ビラシュとともに、この大会に参加したドミトロ・パヴリチコ英語版は、彼の前に座っていたリュドミラ・モルドヴァン (Liudmyla Moldovan) という女性のハンカチに目が止まった。彼は父親に、黒地に赤い薔薇がデザインされていたそのハンカチの色について、「赤は愛、そして黒は悲しみ (Червоне — то любов, а чорне — то журба)」と説明した。パヴリチコは思わず発した自分の言葉に触発されて、詩を書き、やがてこの歌の1番の歌詞になるものを膝の上で書き出し、隣に座っていたビラシュに見せた。パヴリチコとビラシュは、大会を離れてボルゼルに向かい[2]、そこで一緒に、30分ばかりの間に、この歌を書き上げた[3]

「二つの色」は、ウクライナ・ラジオ英語版の芸術評議会の面々の前で、アナトリイ・マクレンコによって最初に歌われたが、これは、当時、音楽作品がレコーディングや公表されるために、必要とされていた手続きであった[2]。芸術評議会は、「ナショナリズムの歌」だと断じて、この作品の公表を禁じたが[3]、これは赤と黒が、ウクライナ蜂起軍軍旗英語版の色であったこと、また、「二つの色」の歌詞の一部にウクライナのナショナリストの歌と似たところがあったことを踏まえていた[2]。パヴリチコとビラシュは、ふたりとも、KGBに尋問され、バンデラ主義者英語版(過激な民族分離主義者)として告発されたが、パヴリチコはこれを真っ向から否定した[4]。彼は、黒と赤は、彼の母親のタオルの色であり、スカートの色だったとし、さらに、この色の組み合わせはパリ・コミューンの旗のものだとも述べて、この歌が無害なものであることを検閲官たちに納得させた[2]。後年のインタビューで、パヴリチコは、ビラシュが尋問に怯えていたとした上で、「この歌は、ナショナリズムの歌だ、とか、ウクライナ民族主義者組織 (OUN) の歌だ、などなどと、容易に立証されたことにされかねない状況だった」としばしば述べていた[4]

「二つの色」は、十月革命記念日英語版の行事のひと月前にあたる、1964年10月7日に、ドミトロ・フナチュクが最初に公の場でこの歌を歌った[2]。この歌は、フナチュクのお気に入りの歌のひとつとなり、彼は、この歌はウクライナを代表するものなのだ、とも発言した[5]。フナチュクのこの曲への愛着については、フナチュクの個人的な友人であったパヴリチコも書き残しており、彼は「心を込めてこの歌を歌っていた」という[6]

遺されたもの

脚注

外部リンク

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