二宮熊次郎
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現在の愛媛県宇和島市に生まれる[1]。父は宇和島藩士だった[1]。宇和島に設置された「南予変則中学校」に学んだ[2][3]。
15歳の時、藩校明倫館の助教となる[1]。1883年(明治16年)に朝野新聞に入社[1]。
1888年(明治21年)から1892年(明治25年)までドイツへ留学する[1]。帰国後に山縣有朋の支援で内務省嘱託となり、日清戦争時には戦地で山縣の秘書も務めた[1]。
内藤鳴雪の勧めで俳諧に進み、「孤松」は俳号として使用したものである[2]。
1898年(明治31年)には日刊紙「京華日報」を、これも山縣の支援により創刊した[1]。1904年(明治37年)に雑誌『世界』(現存する岩波書店の同名雑誌とは別)を創刊[1]。1916年に死去した際も現役の編集者であった[1]。訃報に接した山縣は「子のごとく そだちし庭の ひとつ松 なにそは夜半の 雪に折れけん」という弔歌を詠んでいる[2]。