『関八州古戦録』巻1「上杉憲政武州河越城責之事」によると、天文14年(1545)の河越の陣中、北条氏康の命を受けて、小田原から、風間小太郎の指南を得た二曲輪猪助という「忍びの骨張(こっちょう[1])」が柏原(埼玉県狭山市)の扇谷上杉の陣中に潜入し、敵軍の配置の詳細を報告していた。しばらく経ってから露見し、扇谷の追手の太田犬之助という「歩行立の達者」に追いかけられたが、小田原まで逃げ帰ることができた。この日、誰かが扇谷の陣の前に
駆出され 逃ぐるは(二曲輪)猪助 卑怯もの よくも太田(逢うた)が 犬(去ぬ)之助かな
という落首を書いた[2]。