1916年、広島県高田郡八千代町(現・安芸高田市)土師で生まれた。
生家は浄土真宗明願寺。龍谷大学ならびに同大学研究科で学び、1943年に卒業。
1946年、満洲から引揚げ、その後は龍谷大学教員となった。1974年、学位論文『古代仏教思想史研究』を龍谷大学に提出して文学博士号を取得[1]。その後、龍谷大学教授に昇格[2]。1969年、学長代行を務め、学園紛争を切り抜けた[3]。1976年、龍谷大学第11代学長となった[4]。1983年に学長を退任し、退職後は名誉教授となった。
その後は京都女子学園学園長となった。1995年に死去。