五十嵐豊
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那須温泉郷の1つ八幡温泉五十嵐旅館の次男坊として誕生。
旧制宇都宮中学を卒業後、1947年(昭和22)東京美術学校(東京美術学校最後の卒業生)に入学[1]。在学中は高田正二郎などに師事し、1952年(昭和27)に卒業した。
1954年から栃木県佐野繊維工業試験場(現県南技術センター)で図案技師として繊維・染色のデザインを担当した。1957年(昭和32)に開催された第5回世界観光ポスターコンクールでは、日本代表作品として「那須高原」が、栗谷川健一の「阿寒湖」とともに出品されている[2]。
1958年(昭和33)に帰郷すると「やはた工房」を設立し、那須温泉の民芸品や工芸品の開発・制作を行う。一部は海外にも輸出された。また、栃木県北部の商店・行政の包装紙や観光マップなどを手掛けるなどデザイナーとしても活躍しており、松川屋高原ホテルの紙袋デザイン、明治屋(黒磯駅前)が販売する「那須野ボッカ」のパッケージデザインは彼によるものである。栃木県北部を代表する芸術家である。