五味国太郎
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東京に移り、1900年(明治33年)、満25歳のとき、新派の高田実が主宰する「高田実一座」に入座、東京・本郷座で多く出演した[1]。
1908年(明治41年)に吉沢商店が目黒に開設したグラスステージをもつ映画スタジオ・吉沢商店目黒撮影所に、1910年(明治43年)ころから出演を始める。女形の木下吉之助と多くの作品で共演した。1912年(大正元年)、同社は他の3社と合併してトラスト日活を形成、翌1913年(大正2年)10月には日活向島撮影所を建設・開所し、目黒撮影所を閉鎖した[2]。五味は、狂言方(脚本・演出)の小口忠や桝本清、セット背景画家の斎藤五百枝、俳優の関根達発、立花貞二郎、横山運平らとともに、向島に異動になる[2]。吉沢商店でも日活でも、当時は映画にクレジットする習慣がなかったため、作品の詳細に関しては不詳である[3]。同年いっぱいをもって日活を退社する。
日活を形成した1社である福宝堂出身の山川吉太郎と小林喜三郎が設立した天活に、1916年(大正5年)に入社、サイレント映画や連鎖劇に多く出演した。なかでも連鎖劇で演じた将軍・乃木希典で人気を博した[1]。天活には1918年(大正7年)まで在籍した。1919年(大正8年)、天活は小林喜三郎が設立した国際活映(国活)が買収、1920年(大正9年)には国活の映画にも出演したが、同年、松竹キネマが蒲田に開所した直後の松竹蒲田撮影所に入社する[1]。
1921年(大正10年)いっぱいで松竹キネマを退社、舞台での実演に戻るが、大阪での公演中に倒れ、1922年(大正11年)4月28日に病死した[1]。満47歳没。