井上仁郎
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伊予国喜多郡新谷(現・愛媛県大洲市)の新谷藩士の家に生まれる[2]。小学校時代の友人に井上要(のちの実業家、衆議院議員)がいた[3]。陸軍士官学校(旧7期)[1]に入り、1885年(明治18年)6月、陸軍工兵少尉任官[4]。同期には宇都宮太郎・島川文八郎両大将や柴勝三郎中将らがいた。1887年(明治20年)に陸士を卒業。軍用鉄道研究のためドイツに派遣された[2]。
日清戦争時には寺内正毅少将の副官を務めた[2]。1904年(明治37年)3月、鉄道大隊長に就任し[5]、日露戦争では大本営臨時軍用鉄道監督部長となった[1]。1905年(明治38年)3月、工兵大佐に昇進[5]。1906年(明治39年)7月、陸軍省軍務局工兵課長に異動[5]。1910年(明治43年)11月、陸軍少将に進み交通兵旅団長となる[1][5]。1914年(大正3年)航空学校視察のため渡欧[2]。1915年(大正4年)1月、交通兵旅団が交通兵団に改編され、引き続き兵団長を務めた[1][5]。同年2月、陸軍中将に進級[1][5]。1916年(大正5年)4月、臨時軍用気球研究会長を兼務した[1][5]。
1916年8月、下関要塞司令官に就任[1][5]。1917年(大正6年)8月、待命となり、同年12月、予備役に編入された[1][5]。
臨時軍用気球研究会において、1909年(明治42年)8月に委員(幹事役)、1916年4月に会長をそれぞれ兼務し、陸軍航空の草創期に貢献した[6]。

