井上伝

From Wikipedia, the free encyclopedia

久留米市寺町の徳雲寺にある井上伝の墓

井上 伝(いのうえ でん、天明8年〈1788年〉 - 明治2年〈1869年〉)は、江戸時代後期の女性織り手であり、久留米絣の創始者として知られる。[1][2]

井上伝は、久留米市の資料によれば、久留米城下の通外町に生まれた。13歳の頃、色あせてまだらになった着物の模様から着想を得て、のちに久留米絣として知られる織物を生み出したとされる。[3][4]

池田俊『井上でん』によれば、井上伝は「神仏をあがめる心の厚い人」であり、文政5年(1822年)、35歳の春に宿願であった四国巡礼の旅に出た。[5][6]

その後、久留米絣は改良を重ねながら発展し、慶応2年(1866年)には年間約1万反が久留米藩外にも販売されるようになった。[3]

池田俊はまた、井上伝について「生涯を地味に暮らした」人物であり、「華々しい活躍や、人を驚かすようなことは何一つ残していない」と記している。[7] 同書によれば、弘化元年(1844年)10月、伝が57歳の時に長男兵太郎に男子半吾が生まれ、伝は初孫の誕生を喜んだという。[8]

井上伝の墓碑・銅像は、久留米市寺町の徳雲寺にある。[9]

久留米絣との関係

文化庁の文化遺産オンラインおよび国指定文化財等データベースによれば、久留米絣は江戸時代末期に井上伝が創案したものと伝えられる。明治以降、同織物は木綿絣を代表する存在の一つとなった。[2][10]

久留米絣は1957年4月25日に重要無形文化財に指定され、同データベースでは1976年4月30日付で保持団体認定の情報が確認できる。[10]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI