井上伝
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井上伝は、久留米市の資料によれば、久留米城下の通外町に生まれた。13歳の頃、色あせてまだらになった着物の模様から着想を得て、のちに久留米絣として知られる織物を生み出したとされる。[3][4]
池田俊『井上でん』によれば、井上伝は「神仏をあがめる心の厚い人」であり、文政5年(1822年)、35歳の春に宿願であった四国巡礼の旅に出た。[5][6]
その後、久留米絣は改良を重ねながら発展し、慶応2年(1866年)には年間約1万反が久留米藩外にも販売されるようになった。[3]
池田俊はまた、井上伝について「生涯を地味に暮らした」人物であり、「華々しい活躍や、人を驚かすようなことは何一つ残していない」と記している。[7] 同書によれば、弘化元年(1844年)10月、伝が57歳の時に長男兵太郎に男子半吾が生まれ、伝は初孫の誕生を喜んだという。[8]
