幼い頃からイギリス人に預けられたため英語を得意とし、14歳から2年間、井上馨夫妻にしたがって英国に滞在、中上川彦次郎とウィリアム・モリソン(尾崎三良の岳父)を通じて英語をさらに学び、帰国後は威仁親王妃慰子のお相手として宮内省御用掛となった[2]。
1883年(明治16年)に山縣有朋夫妻の媒酌で、いとこであり英国でも一緒だった勝之助と結婚、美貌で学もあることから社交界の華となった[2]。外交官夫人としてドイツに約10年間滞在の間にはパリに単身語学留学するなどし、英仏独の三か国語に通じた語学力と社交性で夫を助け、在英大使夫人時代には英国王妃とも交流があった[3]。
帰国後は泉橋慈善病院(現・三井記念病院)賛助婦人会会長を務めるなど、夫ともに社会事業にも携わったが、夫の死後、脳溢血により半身不随となり、71歳で没した[4]。