元禄6年(1693年)、父から郡上郡内に3,000石を分与されて交代寄合となる。甲府藩主徳川綱豊の家老を務め、綱豊が将軍後継者となると西の丸御側衆となり、3,000石を加増された。そしてその後も順調に加増されて8,000石になり、家宣が死去するとその遺命により、正長は2,000石を加増されて1万石で大名に列し、下妻藩主となった。その後も奏者番、寺社奉行などを歴任した。1720年12月4日、67歳で死去。養子の正矩が早世したため、その娘婿の正敦が正長の養嗣子となり、跡を継いだ。墓所は東京都台東区の谷中霊園。