井上眞一 (バスケットボール)
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名古屋市立振甫中学校、愛知県立中村高等学校から早稲田大学に進みバスケットボール部に所属するも、いじめに近いしごきを受け、1カ月も経たずに退部。その後は同好会を作ってバスケットボールを続ける[2][3]。
卒業後は医療機器メーカーに就職するも3ヶ月で退職、1971年の8月に教員採用試験を受け翌9月から名古屋市の中学校教員になる。当初は男子の指導をしていた。この間、全日本教員バスケットボール選手権大会に出場し優勝している[2][4]。
名古屋市立楠中学校を経て名古屋市立守山中学校に異動、同校女子バスケットボール部で1980年より全中8連覇のうち6連覇まで導いた[2]。
1986年、当時既に全国大会で上位に進出していた名古屋短期大学付属高校(現:桜花学園高校)の監督にプロコーチとして就任。1年目でインターハイ初優勝となり、以来インターハイ25回、ウインターカップ24回、国体22回の計71回の優勝を決めている[5]。
また、1988年から2001年までは、全日本ジュニア(現U-18)のヘッドコーチとして国際大会でも指揮を執っていた[2]。
2022年のインターハイは体調不良のため長門明日香アシスタントコーチが代行として指揮を執り[6]、ウインターカップでもアシスタントコーチに回った[7]。
2023年、日本バスケットボール殿堂に表彰される[8]。
2024年12月31日、名古屋市内で死去した。78歳没[9]。
