大多喜藩士・井上義明の長男として生まれる。戊辰戦争では、藩士・岡本高邇と協力し、藩侯のために各方面との交渉・周旋にあたり、調整役として功績を挙げた。
明治5年頃、太田義顕・宮崎有終・富岡至素らとともに陸軍裁判所中主理を拝命し、明治7年頃には大主理に昇進、陸軍大尉を兼ねて正七位に叙された。明治10年には裁判権評事に進み、翌11年6月22日、勲五等に叙せられた。
明治12年には総務局法則掛並びに太政官権少書記官を兼ねて法制部に在勤し、のち軍律取調掛となる。明治15年、東京鎮台軍法会議理事に補せられ従六位に叙位。明治17年11月13日、勲四等に叙された。
明治18年5月11日、歩兵少佐・井門重晴らとともに朝鮮へ派遣され、同年11月14日には参事院員外議官補を兼任。明治20年3月10日、奏任三等に叙せられ、総務局人事課附理事となった。
明治23年12月1日、後備役に編入。明治29年5月、陸軍省法官部長に補せられ、明治32年12月12日、特旨をもって従四位に昇叙された。翌13日に死去し、同日、勲二等瑞宝章を賜り、葬儀に際しては勅使が差遣された。