東京府生まれ。東京府立第一中学校(現:東京都立日比谷高等学校)、第一高等学校を経て、1930年京都帝国大学文学部独文科卒。
神保光太郎、北川冬彦らと同人誌『磁場』などで文芸評論を書く。『磁場』1932年4月に「芥川龍之介と志賀直哉」を発表。1939年法政大学で教える。
1935年治安維持法違反で検挙、不起訴。
1936年日本大学講師。1945年3月東京信濃町教会で洗礼を受ける。1947年東京神学大学専任講師、1951年教授、1971年定年退任。
1997年、これらの功績が認められ、日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰を受ける[1]。墓所は多磨霊園。妻は仲町貞子。