井口延次郎
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三重県[2]三重郡、のちの四日市町(現四日市市[4][5][6])で、素封家、石材商[4]・井口長右衛門の二男として生まれた[7]。小学校卒業後に上京し[5]、国民英学会で学んだ[2][3][6][7]。
貿易商薩摩商会に入り[2][6][7]下積みから始めて次第に信頼を得て[4]、東京本店、大阪支店、旅順出張所などで勤務した[7]。第一次世界大戦時に井口汽船部、弥彦商会、東京海運 (株) を設立して[2][3][6]、海運業で巨万の富を築いた[4][5]。その他、朝日海陸運輸、東洋耐火煉瓦、東洋電業、明光堂などを経営した[2][3][6]。
政界にも進出し、1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙で三重県第2区から政友本党公認で出馬して初当選し[8]、1928年(昭和3年)2月の第16回総選挙でも再選され[9]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][5][6]。この間、田中義一内閣・総理大臣秘書官、大礼使事務官などを務めた[2][3][5][6]。