井坂泉太郎
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諱は貞行。在京藩士本圀寺勢に属し、元治元年(1864年)9月20日、主君徳川慶篤の弟昭武附きとなる[1]。小姓頭取を務め、1867年(慶応3)年、昭武が将軍名代としてパリ万国博覧会に派遣された際、やはり小姓頭取の菊池平八郎らと共に随行した。1868年1月(慶応3年12月)に向山隼人正らとともに帰国したが、1868年9月(慶応4年8月)、昭武を迎えるために服部潤次郎と再びパリに赴き、昭武とともに帰国した[1]。
明治以後は泉と改名し、水戸徳川家の事務局に入り、家扶(もしくは家令)となって引き続き昭武に仕えた。『戸定邸日誌』には幹部職員として家政に携わる様子が度々登場する[1]。明治30年(1897年)に没した。享年63。