井野長割遺跡
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井野長割遺跡は、印旛沼に注ぐ手繰川の南岸域、標高27メートルの台地上に位置する、縄文時代に築かれた盛土遺構(マウンド、土砂を人工的に積み上げて造成した小山)を特色とする遺跡である。1969年、井野小学校建設工事に際して縄文土器が多数出土したため、慶應義塾大学と佐倉市史編纂委員会による緊急調査が実施され、当地が縄文後期から晩期の遺跡であることが判明した。1970年、あらためて慶應義塾大学による調査が実施された。以後、2003年まで8次にわたる調査が行われ、遺跡の規模や性格が徐々に明らかにされた[1][2]。
当遺跡を特色づけるのは、中央の窪地をめぐって周囲に盛土を環状に配置した、環状盛土遺構と呼ばれる遺構である。盛土遺構自体は青森県の三内丸山遺跡など他の縄文遺跡にも存在するが、井野長割遺跡のように盛土遺構が良好に遺存している例は希少である。また、盛土があたかも古墳のように独立して存在する点も例をみない。遺跡の西半分は小学校建設工事の際に削平されて原形を失っているが、環状盛土で囲まれた遺跡全体は楕円形を呈し、その長径は約160メートル、中央の窪地の径が約80メートルである[1]。
